「ひとつに会える街」STORY

「ひとつに会える街」ができた経緯エピソード


監督 田中壱征

2023年秋、陳賢徳さんから、
「会津若松を全世界の人々によく理解してもらえるMOVIEを創りたい」

と相談され、
私は、すぐに、会津若松市へ飛びました。

歴史的背景は一般レベルで学んで来ましたが、
鶴ヶ城の天辺から街を改めて眺めた時、
様々な想いがこもって来ました。

戊辰戦争で約4000人の戦士の命が奪われ、
その中でも、会津側の戦死者は約2400名。

戦闘に巻き込まれて殺害された
農夫や婦女なども含めると
数千名にのぼっていたのかもしれない・・・。

鶴ヶ城攻防戦では
アームストロング砲の砲弾2800発を
鶴ヶ城が受けてしまった・・・。

1869年6月27日をもって、
戊辰戦争が終わり、
新たな日本(明治維新)となったわけで、

今現在から、
そう遠くない過去なのであります。

それから約100日間・・・
私は、「会津戦争に纏わる経緯」を
とことん学ぶ決断を致しました。

学びの日々が過ぎ、
多くの点と点が結ばれていくに連れ、
涙の深さも変わって行きます。

今では、大学論文を書けるようになり、
田中壱征見解論文が2024年春に完成しました。

だが、しかし、
過去だけ焦点を当てても良くないと考え、

会津戦争後、会津の街を、
がむしゃらに作って来た商人たち。

その代々続く、街を創る人たちの想い。

そして、これからの会津を支えて行く人々。

素直な目で会津を想う会津に住む小学生たち。

そうだ!!!!!!!!!

会津を訪れたら、
「過去」「現在」「未来」の
全部に触れられることが出来る!!
と、思ったのです。

だから、MOVIEのタイトルを、
「ひとつに会える街」に致しました。

2024年春に、
陳賢徳さんにその報告をし、
ご受諾を頂いたのです。

会津の今を担う方々も撮影して行きたいし、
過去をわかりやすく表現できるように、
「時代劇」も入れていきたい。

そのような思いで、
MOVIE台本(脚本)を作っていきました。

キャスティングは、
2015年から、私の映画作品に毎回、
出演をして頂いている大林素子さん。

左から
・モト冬樹さん
・監督 田中壱征
・渋川恵男 会津若松商工会議所 会頭
・陳 賢徳 製作総合プロデューサー
・大林素子さん

その頃の大林素子さんは、
東京拠点1箇所でしたし、
一緒によく飲んでいましたね。

そしたら、何故だか、
いつの間にか、大林素子さんが、
東京と会津の2拠点生活になっているではありませんか!!

これなら、
当MOVIEのナビゲーションは、
大林素子さんしかいない!!と。

そして、私の2025年新作 映画
「雨のち晴れの予定・・・TokyoLoss2」
に出演頂いたモト冬樹さん。

ブログ界では、
芸能界の大御所ランキングでも1位のモト冬樹さん。

映画撮影を通して、
本当に仲良くしてくださり、
モト冬樹さんのお人柄に惚れ、
すぐにオファーをさせて頂きました。

仲良くしてもらいすぎて、
御薬園のお茶の本撮影シーンでは、
ご一緒をさせて頂きました。

そして、「会津」・「野口英世さん」といえば、

1992年 松竹さんの映画「遠き落日」で、
野口シカさんを演じられらた
大御所中の大御所 三田佳子さん。

あの名シーンが自分の中に蘇って来ました。

2023年一般劇場公開となった
厚生労働省推薦 映画「ぬくもりの内側」では、
三田佳子さんにご出演を頂き、

今回、2回目のお仕事を一緒にさせて頂きたく、
緊張をしながら、オファーをさせて頂きました。

東京打ち合わせ時に、
三田佳子さんと久々に再会できた日は、
天に登る感動そのものでした。

芸能界からは、
この御三方が、当映画に出演してくださり、
改めて、御礼を申し上げたいと思います。

撮影秘話は、たくさんありますので、
「撮影秘話」特集で、語りたいと思います。

以上の経緯で、
「ひとつに会える街」がスタートしました

Director of Photography 野田雅之

田中壱征監督から「会津で映画を撮る」と聞かされた当初、正直、知識としては白虎隊のエピソードを学校で習うぐらいの表面的なものしかなかった。

ただ、偶然にも別案件などで会津や只見を訪れる機会が多く、さらには田中監督の前々作「ぬくもりの内側」の文化庁主催 学校上映会でも只見を訪れたりと、何か引き寄せられるものを感じたのも確かである。

そして今回、会津の名所、名店、歴史、伝統、食文化にいたるまで幅広く紹介するというコンセプトのムービーとなると聞かされ、しかもギリギリのスケジューリングの状況で、さて、どんな画を撮ればいいのか、いつも以上に手探り状態で撮影に臨むことになった。

今回の田中監督はいつにも増して熱かった!

会津の歴史を相当に勉強したようで、地元の方々に食い込む語りっぷりは、生半可な気持ちで作っていないんだ!と、”会津の三泣き”の第1ハードルをクリアするんだという意気込みに満ちていた。

おかげさまで、こちらの知識も自然と増えていくと同時に、会津に対する愛着が日ごと増していくのを感じたものだ。
近代の会津には悲しい歴史もあるが、その後の商人の方々の力もあり、それを含めて独自の文化が花開いたようにも感じる。

何よりも住んでいる方々の愛着の強さは「羨ましい!」と素直に感じてしまう。
そういったものがうまく撮れていて、この作品を観た方がそれを少しでも感じ取っていただけたとしたら、これ以上ない幸せである。

制作プロデューサー 鈴木満

日本人らしさが近年ドンドン失われている。
そんな中、
会津には
ならぬものはならぬという教えが
ずっと残っていて
本当に素晴らしい

今回の最後の小学生にしっかりと
受け継がれている最後のシーンが大好きです。

撮影でさまざまな会津魂を感じることがあり
日本人してるなーと
凄くこころが魂が喜ぶ瞬間が何回もあった。

特に武家屋敷や日本酒酒蔵や伝統工芸など
時空をこえて感じれるものがたくさんあった
鳥肌が何回もたちました。

近年さまざまな価値感や生き方がある中で
スジが一本とおった 会津の魂を
日本全国に伝えたい
この映画で
1人でも多くの方が
日本を感じ、
日本をさらに誇りに思い、
愛国心が満ち溢れる未来に繋がってほしいです。

音楽担当&エンディング曲 佐藤政志

田中壱征監督との出会いは、2020年。映画『ぬくもりの内側』のオープニングに、私の楽曲が起用されたことがきっかけでした。オープニング曲「生まれてきた奇跡」の作詞は、福島県喜多方市出身で、現在エフエムきたかたのパーソナリティとしても活動されている有澤未来さん。彼女の言葉と私の音が重なり、作品に命が吹き込まれていったことを、今でも鮮明に覚えています。

そんなご縁から、映画と音楽のプロモーションのため、会津若松を訪れたある日のこと。駅前の居酒屋で一杯やっていると、電話が鳴りました。

電話の主は、田中壱征監督――
「佐藤さん、カメラ持って沖縄に来られませんか?」
突然の一言に心が揺さぶられ、気がつけば私は、沖縄の空の下に立っていました。
その時の作品が、映画『風が通り抜ける道』。
監督からは「カメラと音楽プロデューサーの両方をお願いしたい」と打診され、それは不安を抱きつつも、その挑戦を受け入れることに。結果として、自分自身でも納得のいく音楽を仕上げることができたと思っています。

そういう意味でも、会津若松という地には、深い縁を感じております。
そして今回、『ひとつに会える街』の音楽も、私たちのチームで手がけさせていただきました。

初の時代劇音楽という挑戦ではありましたが、歴史の重みと真摯に向き合いながら創り上げた時間は、私の音楽人生の中でもかけがえのない経験となりました。さらに、『風が通り抜ける道』との縁を感じる中で、当時の楽曲を新たなアレンジで再構築し、本作にも数曲使用しています。

もし本作をご覧いただく機会があれば、ぜひ映像と音楽が織りなす世界観を味わっていただけたら幸いです。

スチールカメラマン 青山桜子

確か、今回の本撮影で訪れた会津若松市の撮影地は、4日で39箇所にのぼります。

その写真の一つ一つを見返しながら、約1年前の今頃を懐かしく感じています。一つ一つの現場は、想いが溢れ、語りかけてくるようでした。私は、いちカメラマンとして、このような想いまでをもファインダーに収めようと必死でした。

当初、田中監督が会津若松市が舞台の映画を撮影する。しかも、時代劇を織り交ぜて!と伺った時、正直、全く想像がつきませんでした。教科書で習った歴史とは、今の私とかけ離れた世界であり、硬く難しい近寄りがたい世界に思えました。「ぬくもりの内側」や「風が通り抜ける道」等で現代のリアルな生と死などの主題を扱い、あたたかいヒューマンストーリーを描いていた監督。なんで、その監督が、会津の映画を撮るのだろう?しかも、時代劇?ぬくもりの世界観は?今度は、知的でクールなイメージで敷居が高そう・・・そんなことを思っていました。でも、そんなことは決してありませんでした。

私も、ワークショップに参加させていただき、皆様と一緒に映像の勉強もしています。
そこで感じた、この映画にかける田中監督の熱さ!真剣さ!
会津の歴史をみんなで本気で学びました。通り一遍倒の学びではなく、監督がなぜ?なぜ?と迫ってきます。ネットやGoogle検索では答えが出てこない、まさに、教科書に書いていない、歴史。

西郷家の自刀、白虎隊の思い、
中野竹子のまっすぐな強さ、
萱野長修や神保修理の日本人魂。
神保雪子の愛。

リアルに感じるには、衝撃が強すぎる歴史。それを知らなかった恥ずかしさ。

涙が溢れてきました。

こんなことが、たった、160年ほど前に本当に日本であったの?
愛する子供と自刀なんて、どれだけ辛いことなのか?それをやり遂げる女性たち、なんていう誇り、強い魂なんだろう?
私の子供と同じくらいの少年たちが自分たちが幼い時に遊んでいた、まさにその想い出の場所で命を経っていく・・・
涙無くしては向き合えない史実ばかりでした。

当時を生きた会津の方々の誠実さ、潔癖さ、誇り。どんな時代になっても私たちが受け継ぎ、伝えていかなくてはいけないもの。

まさに、大切なものは、「ひとつ」
そして、その魂が会津では、「あいづっこ宣言」として大切に大切に、今の子供たちに引き継がれています。

たくさんの涙を流した後に、やっと、監督がこの映画で伝えたかったことが
日本人として受け継がれている「古から未来への魂」なのかな、と感じました。

会津の歴史には、日本人の大切な魂が描かれています。

会津のこの映画「ひとつに会える街」通して、日本の皆様、世界中の皆様に日本人の「古から未来への魂」をお伝えできたらと思っています。

最後に、このような作品に出会えて、会津に出会えて、幸せでなりません。
スチールカメラマンとして関わらせていただきまして、誠にありがとうございました。